カラフルキャラメル

-映画・美術・旅行など-(基本的にネタバレで好き勝手、雑に書いています)

ザ・マスター(THE MASTER)

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昔、TBSラジオ「ストリーム」という番組の「コラムの花道」というコーナーで町山智浩さんが『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ノーカントリー』を紹介していた回で(http://www.nicovideo.jp/watch/sm17761490)、“トミー・リー・ジョーンズが「映画の仕事は答えを与える事ではない、答えを与えるのは宗教だ。映画の仕事は問いかけることなんだよ」と言っている”と紹介していて、この2作品は観たあとに観客が「この映画はなんだったんだろう?どういう意味なんだろう?」ということを何日も何日も考えさせてくれる映画だと言っていました。この言葉通り『ザ・マスター』も惹きつける力が強く、中毒性があり、俳優の圧倒的な演技と映像の美しさで、観たあとしばらくはこの映画のことばかり考えていたし、そして、答えを与えるのは宗教だというのもなるほどなと思いました。考える余地を与えず、導いてしまう、もっというと人をコントロールすることの危うさ。
ホアキン・フェニックスがとにかく凄かった。キャベツ畑を全力疾走する逃げ足速いところ、猫背なたたずまい、逸脱した狂気でアルコール中毒でセックス中毒で(ロールシャッハテストのところ、おかしかった)、終始心ざわつく感じ。特に留置場のシーンの抑制しきれない感情をこれでもかと見せつけられて、近寄りたくないけれど、目が離せないところはマスターに同調できたかな(これって麻薬のような中毒的というかダメだと思っていても引き寄せられて手を出してしまうってやつじゃないか…あのあやしいドリンクとか)。戦争、父親の飲酒、母親の精神病院に入院、叔母との近親相姦、恋人ドリスとのうまくいかなかった恋愛、人生受け止められないフレディ、そりゃそうなるだろうな。壮絶な孤独とトラウマを抱えたフレディは船の中でマスターと出会い、Processingを受けたら、感動的に気分が晴れたので、マスターを師事しはじめたけれど、忠義を尽くしてはいたけれど、心酔してはいなかったと思う。宗教は生き方を狭めるだけじゃないかなぁと思いつつ、自由な狂犬フレディがパブでナンパした女性にProcessingを踏襲したことを言っていたのには笑い。ラスト、海辺で「砂の女」に横たわるフレディ。これではループというか、はじめに戻ってしまって、結局、救済されなかったってことなのかな?うーん…なかなかうまく考えがまとまらず、困った映画だ。
マスターも実は奥さんにコントロールされていて、トイレでのあのシーンはすごかった…